たらたら日記。

鬱病。発達障害。個別塾講師辞めた。高校非常勤講師。

武器を売る人になりたくない

就活止めるときのツイッター見てたら書いてあった

今日の就職セミナーで
どうなりたい?って聞かれて
これを思い出した

10年前に書いた
大学入試の志望理由書からそれは始まってて
テーマは「理系のための国語」だったけれど

(卒論は就活を通して言葉というものが
ほとほと嫌になってしまって、
テーマ変えて、
彼氏に影響を受けて
学校建築にまつわる思想をやったのだが
もっとも、推薦7人いて1人は別のコースに行って
後の人たちは志望理由書なんて気にしていなかった)

それは理系の知識だけ身につけて
倫理観を身につけないと
その知識がどう利用されるのか責任を持てない
ってところからきていて

どう利用されるか→軍事利用
を念頭においておいていた

院生時代にはそんな内容の
研究倫理の啓蒙ポスター貼ってあったり
最近は京大が軍事研究から手を引くことを
表明したり
時代もそうなりつつある

けれど、実際、軍事研究を一切やらないのは無理
全ての学問は悪用できる

教育が戦前に何をしたか!
哲学者が何を語ったか
歴史学者政治学者…
文系だって人ごとじゃない

軍事利用を知の悪用だとすると
そんなことってもっと身近に転がってる
ぱっと見悪用だと分からない形で

私が教育の人だから
教育の話ばかりになるけれど

いまだって道徳を教科化して
なにを教えるの?とか…

性教育をさせないとか…

他にも

精神医学が
善意でなにをやってきたかとか…

デザインだって
使い方を間違えれば人を惑わし阻害し傷つける
人を間違った方向に導く


社会を見たとき、
ぱっと見じゃなくてアウトだろってことも
たくさん転がってる

比喩でもなんでもなくて
武器の会社に投資してる大手メガバンクとか

比喩でも
比喩じゃなくても
武器を売る人にはなりたくない
(善意のつもりの)仕事が引き起こす事態に
責任を持てる仕事がしたい

そのような意味で
教育は危ういけれど
とても尊い営みだと思って教師になりたかった
その人の人生をよいものにして
(個性を伸長して)
それを通して社会をよいものにできる

無償では出来ない
塾講師でお金払った子にだけそれをやる
教育格差に加担する
とか考えたこともあるけれど
目の前の子によくすることは
間違ってないって思えた
(集団には入れなくて
個別にくる子はそれなりのバックボーンがあるし)

教師はそこからもう一段公共性を持てる

けれど、心身がだめになってしまったから
一度、別の道を探す
いつか働くことに慣れたら
戻ってくるかもしれないけれど

私は武器を売らずにすむ
仕事を見つけられるだろうか?

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